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努力って何だろう? 努力出来るようになるためには?

さて、Musuko氏が「努力」について書いておりましたので Sharari-man も「努力」について私見を述べてみようと思います。

20230726 努力の定義に関して鋭いご指摘がありましたので訂正致しました。
      ぞうさん様、大変感謝致します。

目次

努力とは

手持ちの広辞苑によれば以下のようです。

目標実現のため、心身を労してつとめること

「労する」の意味は以下のようです。

苦労して働く事。

つまり努力とは

目標を実現するために、心身ともに苦労をして働く事

という事です。

「Sharari-man の 努力の定義」は少し異なります。

Sharari-manが考える努力は

目標を実現するために、心身の苦労を気にせず働く事

という事です。

心身の苦労を気にせず働く事が出来るか?

さて、皆様は如何でしょうか?努力出来ていますか?

例えば以下のような状況で心身の苦労を気にせず働く事が出来るでしょうか?

目標:「会社の業績向上」
課題:自身が何の興味もない。
企業風土:ハラスメントが横行している。
倒産寸前であり残業代は支給されず長時間労働である。

このような職場環境であれば、心身には高い負荷がかかるでしょう。

そのような中で 「苦労を気にせず働く事」 が出来るでしょうか?

中々難しいのではないかと思います。

つまり 努力という言葉の定義にある 「苦労をして働く事」というのは

大変な苦労を感じ、毎日辛いと思いながら働いている状態

ではなく

はたから見れば大変な苦労をして働いているように見えるが、当の本人は苦労と思っていない状態 

だと考えられます。

よって

Sharari-manが考える「努力の定義」をまとめると以下のようです。 

目標を実現するために、はたから見れば大変な苦労をして働いているように見えるが、当の本人は苦労と思わず働いている状態。

私はこのような状態のたとえ話として、ロールプレイングゲームを挙げます。

私のようにゲームに興味が無い人間からすれば、

「ロールプレイングゲームで敵を倒し続けてレベルを上げる作業」

というのは大変な苦行です。

しかし当の本人は苦労とは感じていないはずです。

楽しい、あるいはレベルを上げるという目標を達成する事に夢中になっているはずです。

このような状態の事を 「努力出来ている状態」 と考えております。

算数が大好きなお子様の学業に例えれば

「灘中学の難問を解き続ける作業」は一般的なお子様からすれば 大変な苦行 であるはずです。

しかし、当の本人は その作業に没頭して楽しんでいるはずです。息子もそうです。

このような状態が「努力出来ている状態」と考えております。

心身の苦労を気にしない状態になるためには?

Sharari-man はこの状態になるためには以下のような条件があると考えております。

目標に対して興味が持てる。興味を持つための親御様のサポートがある。
「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」が満たされる環境である事

上の項目は分かり易いですね。全く興味が持てない事に真摯に取り組めるお子様は少ないと思います。

下の項目はこの記事でも登場した マズローの欲求ですね。


順番に具体的な例・考え方を挙げてみます。

興味を持つためのサポート

我が家の事例を挙げると以下のようです。

算数・数学を活用したプログラミング・機械設計・理科実験などを通じて、算数・数学を学ぶ重要さ・楽しさを感じてもらう。
興味を持つためには情報が必要です。様々な書籍(専門書や小説や漫画)を通じて楽しさを理解してもらう。また、鉄工所・溶接工場・鋳造工場・自動倉庫など様々な機械や製品を製造する場所に課外学習へ行き、自分たちが学んでいる事が、世の中に貢献する手段となっている事を感じてもらう。

このような取組を日々行い、子供達が興味を持てるきっかけを提供しています。
個人差がありますが一定の成果が得られていると感じます。

生理的欲求

主に食事・睡眠などの生きて行くために必要な欲求があてはまります。

家庭学習においては

適切な睡眠時間がしっかり確保されている。
適切な栄養バランスの食事が提供出来ている。

事が挙げられます。

この中で適切な睡眠時間というのは個人差が大きいところです。

私はショートスリーパーであり、1日4時間も寝れば充分です。

息子の場合は8時間前後が適切であると感じる睡眠時間です。
目覚めも良く、昼間に眠くならず、心身の成長を充分に感じられている事が根拠です。

以下の米国の睡眠医学会の情報が良く目につきます。

この内容の論拠となっている論文も幾つか拝読致しましたが Sharari-man は懐疑的です。

息子の事例は以下のようです。

平均睡眠時間 8時間/日
学力:平均以上
体力:平均以上
身長:平均以上
体重:平均以上(筋肉質)
精神:安定している

このような状態ですから、息子にとって適切な睡眠時間が取得出来ていると判断しています。
個人差が大きい項目だと思いますから、「親御様が子の様子・成長を見て判断する」事が重要だと考えております。

上に挙げたような指標から判断すると良いでしょう。
学力はバラツキがあると思いますから、 体力・伸長・体重・精神 の4項目が良いと思います。

安全の欲求

安全かつ健康的に過ごしたいという欲求です。

家庭学習においては

暴力・誹謗中傷が無い状態である事
適量の運動に取組み健康的な体が維持されている事
過度なストレスにさらされていない事

などが挙げられます。

もう少し具体化するならば

学習姿勢に不適切な部分があったとしても怒りをぶつけず、適切に叱る。
親子で適度な運動に取組む(筋トレ・サイクリング・ジョギングなど)
相対評価を気にしすぎて過度なプレッシャーをかけない
絶対評価で子の成長を喜ぶ

特に相対評価(偏差値など)はストレスが溜まりやすいと思います。

一生懸命取り組んでも評価が伸びるとは限らないからです。

様々なブログなどで

Okusama

子供が自分で難関中に行きたいと言ったから頑張らせているのよ!

という方を見かけます。

しかしながら、良く考えてみて下さい。

自ら様々な事を調べ、自分の将来の目標を達成するために難関中に合格する事が必要である

なんて事を結論付けられるお子様は殆どいないはずです。たぶん1千万人に一人くらいじゃないでしょうか。

将来の目標が明確であり、それを達成するための道を自ら模索し、数ある道の中から合理的に選択が出来るお子様などいるのでしょうか?

Sharari-man は殆どいないと考えております。

よって殆どの場合 難関中への合格 は 親の目的・目標 であるはずです。

それが悪いと言っているのではありません。

子は道を選択出来るだけの知識・経験が無いのですから、親御様が選択をサポートする必要があります。

よって「子供が決めた」のではなく

Okusama

子供と一緒に決めた難関中学合格のための学習に取組んでいる

が正確でしょう。

Sharari-man

子供と一緒に決めた道かもしれませんが、目標を達成するための道は一つではありません。
受験で必要な相対評価の結果が思わしくなければ、道の変更を一緒に検討しても良いのではないでしょうか?

Sharari-man

安全の欲求が満たせるレベルの健康的でストレスの少ない生活が良い学びを得るために大変重要だと考えております。

社会的欲求

家族・友達・学校・塾などの集団から受け入れられる事を望む欲求です。

疎外感なく暮らしたい。愛情を感じて暮らしたい。という欲求です。

家庭学習においては

子の成長を喜び、未熟な部分を受け入れ、君が大切だという事を伝える。
道徳・社会のルール・国語(言葉づかい)を指導し、社会に受け入れられるためのサポートをする。

などが挙げられます。

何度か記事にもしておりますが、Sharari-man は 道徳・社会のルール を学ぶ事が最も大事だと考えております。

正しい道徳観・倫理観があってこその技術です。

家庭学習や算数道場においても それぞれが教えあい、助け合うよう指導しています。

人間一人では大した事が出来ないものです。正しい道徳観・倫理観を身に付け、「チームで成果をあげる事を喜ぶ」 心の育成が大変大事だと考えております。

承認欲求

社会から認められたい。誰かから認められたい。という欲求です。

最近は悪い欲求として扱われる事が多いような気がします。

Sharari-man

誰かから褒められたい。認められたい。喜んでもらいたい。
これらの感情は凄く一般的な感情だと思うのですが、それを否定する意見が多いのは驚きです。

家庭学習においては

学問だけでなく、スポーツ、道徳などについても絶対評価を行い、積極的に成長を認める事。
失敗しても突き放さず、いつも前向きな言葉でサポートする事。
笑顔で接し、共に成長する事。

いつも子供に対して

Sharari-man

君は様々な面で成長している。
もっと成長出来る。
明日も一緒に頑張ろう。

という思いを持って接すると良いのではないかと思います。

まとめ

心身の苦労を気にしない状態になるためには「興味を持つためのサポート」「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」が満たされる環境を提供する事が必要である。

「興味をもつためのサポート」(我が家の事例)
算数・数学を活用したプログラミング・機械設計・理科実験などを通じて、算数・数学を学ぶ重要さ・楽しさを感じてもらう。
興味を持つためには情報が必要です。様々な書籍(専門書や小説や漫画)を通じて楽しさを理解してもらう。また、鉄工所・溶接工場・鋳造工場・自動倉庫など様々な機械や製品を製造する場所に課外学習へ行き、自分たちが学んでいる事が、世の中に貢献する手段となっている事を感じてもらう。

「生理的欲求」
適切な睡眠時間がしっかり確保されている。
適切な栄養バランスの食事が提供出来ている。

「安全の欲求」
暴力・誹謗中傷が無い状態である事
適量の運動に取組み健康的な体が維持されている事
過度なストレスにさらされていない事

「社会的欲求」
子の成長を喜び、未熟な部分を受け入れ、君が大切だという事を伝える。
道徳・社会のルール・国語(言葉づかい)を指導し、社会に受け入れられるためのサポートをする。

「承認欲求」
学問だけでなく、スポーツ、道徳などについても絶対評価を行い、積極的に成長を認める事。
失敗しても突き放さず、いつも前向きな言葉でサポートする事。
笑顔で接し、共に成長する事。

これらが達成されていた場合

努力が出来る状態、すなわち

はたから見れば大変な苦労をして働いているように見えるが、当の本人は苦労と思っていない状態 

になると考えております。

我が家・道場では、子に合わせた適切な教材とカリキュラムで学習を進めながら、「努力が出来る状態」を構築する事を意識して指導に取り組んでおります。

賛否両論あるかと思いますが、今のところ上手く運用出来ており、効率良く学習出来ていると感じております。

軍隊式について

子を叱り、縛り付け、洗脳する事である程度の学習効果が得られるのは事実だと考えております。
歴史を振り返ってみても、このような教育手法を採用し、一定の成果を挙げている国は多かったようです。

いわゆる「スパルタ教育」というものですね。

現代ではこのような極端な教育手法を採用するのは人権の観点から不可能です。

また、学校教育の環境および社会に出てからの労働環境との乖離が甚だしいと感じます。

現代の企業活動で求められている人材像は例えば以下のようです。

主体的に学ぶ力を持っている。
諦めず・粘り強く考え続けられる。
自ら率先して行動する。
優れた道徳観・倫理観を持ち人望がある。

軍隊式の教育を受けた子供達が これらを身に付けられるかと言えば懐疑的です。

よって我が家と算数道場ではこのような手法は採用しておりません。
子供達が主体的に学ぶ意欲を持てるためのサポートを重視しております。

あとがき

さて、長々と私見を述べさせて頂きました。

これらは私自身がエンジニアとして開発を続ける中で、モチベーションを高く持ち続け、継続的に努力するために意識している事です。

簡単に言えば 目標に興味があり、学びと生活の両方が楽しければ、自ずと努力出来る という事です。

Sharari-man

全員にあてはまるとは思いませんが、良いと思われた点だけでも参考にして頂ければ大変嬉しく思います。

楽しく学び・楽しく暮らし・健康で元気いっぱい大声で笑う。

そんな子供達と一緒に成長していきたいと考えております。

会社での新人指導、道場での子供達の指導。色々な方に指導しています。
万人が上手く行くカリキュラム・教育手法は無いと感じています。
だからこそ工夫のしがいがあります。上手く行かない時ほど「もっと改善する楽しみ」を感じ、モチベーションが向上します。
是非、皆様にもお子様に合った教育手法を模索する事を楽しんで頂ければと思います。

Sharari-man

何の興味も無く、全然楽しいと思えない学習を延々と続ける事は中々困難です。効率も良くありません。
努力=本人が辛く苦しいと感じる事を延々と続ける事 ではない と考えております。
如何にそれを楽しいと感じさせ、心身の苦労を気にしない状態に導くかが指導者の腕の見せ所でしょうか。
楽しいですね。

我が家の学習事例が少しでも家庭学習に取組む皆様の御参考になりましたら望外の喜びです。

ではまた!

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この記事を書いた人

日本で働く技術者です。
ブログ運営目的は我が家の学習情報提供を通じた社会貢献です。
地域貢献を兼ねて地域限定で算数の個別指導を行っています。

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コメント一覧 (2件)

  • Sharari-man様
    こんばんは。いつも楽しい記事有難うございます。
    恥ずかしながら今回のような分析に今まで出会ったことがなく、はっとさせられました。何度も読み返して新しい知見として昇華していこうと思っております。有難うございます。
    ただ、努力の定義が、
    目標実現のため、心身を労してつとめること。
    であり、労する、の意味が、
    苦労して働く事。
    であれば、努力の定義の『労して』に代入すると、
    心身を苦労して働く事をつとめること。
    になり、Sharari-man様の言い換え、
    心身の苦労を気にせず働く事。
    の対義語になるような気がします。私の理解が間違っていれば申し訳ありません。あるいはSharari-man様独自の、努力、の定義変換であったとしたら申し訳ありません。
    ですので、
    目標を実現するために、心身の苦労を気にせず働く事
    は努力とは別の言葉であるはずでありますが、私の語彙力では見つけられません。
    造語的に言えば、苦労の対義語が安楽であることを踏まえると、『楽働』あるいは『楽学』のようなものになりそうです。何か適切な言い回しがあれば教えて頂きたいです。ひょっとしたら英語など他の言語にはあるのかもしれません。

    定義はさておき、このような考え方の分析はコロンブスの卵であり、広く知って欲しいものと思います。感動的な記事、本当に有難うございました。

    • ぞうさん様
      Sharari-manで御座います。

      鋭いご指摘ありがとうございます。
      定義が甘かったようです。本文を修正致しました。

      Sharari-manの主張はぞうさん様の仰る通り「定義変換」で御座います。
      努力=目標実現のために心身の苦労をしながら働き続ける
      事ではなく
      努力=興味を持ち、心身の苦労を気にしないほど没頭し、それを楽しむ事
      である。
      という事です。

      「広辞苑の定義とSharari-manの定義は異なりますよ」
      という主張です。

      このような意味合いの言葉の例としては
      「ゾーンに入っている状態」
      「没頭する」
      「没入する」
      が近いでしょうか。

      ただただ、苦しいと思いながら学業や仕事に取組む事が人生を豊かにするとは思えません。
      苦しい作業の先に自己実現欲求を満たす何かがあれば、苦労を気にせず取組めるはずです。

      色々なブログ、学習記事に
      「辛くても頑張りなさい。それが努力です」
      という主張を見かけます。Sharari-manはこの主張に対して懐疑的です。
      「辛かったら長期間継続して頑張れない。それが人間です」
      と考えています。

      少しでもぞうさん様の参考になる箇所がありましたら大変嬉しく思います。

      ご指摘ありがとう御座いました。

      ではまた!

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