さて本記事では表題の件につきまして私の意見を記そうと思います。
2023.6.4 色々と追記しました。
地頭が良い/悪いの定義
【参考文献】
![](https://u.xgoo.jp/img/sns/dictionary.png)
- 論理的思考能力の高低
- クリティカルシンキング能力の高低
- 発想力の高低
これらが高い場合に 地頭が良い という状態のようです。
さて上記の引用文献に記されております
「学校の成績など後天的な学習や暗記による「頭の良さ」ではなく」
という一節が大変気になるところではあります。
先天的?後天的?
先天的 ⇒ 生まれつきもつ能力
後天的 ⇒ 生まれてから後に備わる力
つまり引用文献の主張によれば
地頭は生まれた時に決定されており、後の努力によって改善出来ない能力 という事です。
ところが引用文献では 「地頭の鍛え方」なる内容も紹介されており、自己矛盾を含む記事となっております。
以下の私見では この定義に基づく地頭について 先天的なモノなのかあるいは後天的なモノなのかについて考察したいと思います。
Sharari-manの意見
![](https://sharari-man.com/wp-content/uploads/2023/05/ダウンロード-150x150.png)
以下は私見です
さて長らくエンジニアの指導を実施してきた経験に基づき導いた結論について述べて参ります。
地頭の定義は以下のようですから、それぞれ分析してみましょう。
- 論理的思考能力の高低
- クリティカルシンキング能力の高低
- 発想力の高低
論理的思考能力は鍛えらえれるのか?
論理的思考能力の定義としては以下のようです。
論理的思考能力
論理的思考力とは、網羅的に論点を整理して考える力の事。
例えば「AだからBである」「Aである。なぜならBだから」「AとCの条件を満たすからCである」
というように様々な条件・因果関係を能動的に分析し、そこから仮説検証を行い、自分なりの解答を導き出す能力
と言えると考えます。
さて、この能力は鍛えられるのでしょうか?
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Sharari-manは間違いなく鍛えられると考えております。
間違いなく訓練によって向上する能力だと考えております。
例えば 要点整理・帰納・演繹的分析手法は算数/数学によって鍛えられます。
また、これも引用文献の自己矛盾と思いますが、「知識」が無ければ論理的に分析する事が出来ません。よって知識の多寡によっても影響を受けると考えて良いと思います。
例)
アイスクリームを家の外に置いておくと溶けるか?
この解を導くためには アイスクリームの融点、外気温などの前提知識が必要になります。
そもそも知識が無ければ分析も解を導く事も出来ないという事です。
もう少し難しい例を挙げてみましょう。
例)
強度区分12.9のボルトが700MPaの引張応力で破壊した。それは何故か?
強度区分12.9のボルトは引張強さが約1200MPaとなっておりますから普通は破壊しません。
ではなぜ破壊したのかを考えると
「負荷の状態が0~700MPaの間で繰り返されたのではないか?」
「金属にも人間と同じように疲れる、微細な亀裂が進行するという現象があるのではないか?」
「金属は生物と異なり、自己修復機能が無いため、微細な亀裂進行が破壊を招くのではないか?」
「繰り返し応力による疲労破壊という現象があるのではないか?」
このように様々な知識を組み合わせて、仮説・検証を実施し、解答を導く事になります。
これらは知識という点を繋ぎ合わせ図形を描く作業と言えます。
普段から知識をカテゴライズするのではなく「有機的に組み合わせるもの」として考える思考の癖が大事です。
これらは日常生活でいつでも鍛えられます。
家のドアがゆっくり開いたり、ゆっくり閉じたりするのは何故だろう?
テレビの電源を入れてから映像が流れるまでに時間が必要なのはなぜだろう?
包丁で野菜が切れるのは何故だろう?
水道の蛇口をひねると水が出るのは何故だろう?
こういった事を常日頃から疑問に思い、調べ、自身の血肉とする訓練をすれば良いと考えております。
例えば Sharari-man は遊園地に行くと必ず奥様からお叱りを受けます。
あらゆるアトラクションの構造を分析してしまうからです。
「あぁあのジェットコースターは上手くトラス構造を利用しているな」
「この光電センサを使い、安全確保しているのか?雨の時はセンサは正常に働くのだろうか?粉塵に対する誤作動の危険はないのか?」
「制御装置が破損した場合のデュアルチェックセーフティ機能は構築しているのだろうか?」
などなど挙げればキリがないほどです。
以上の事から Sharari-man が考える命題の解答は以下のようです。
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普段の生活から疑問点を探し、調べ、自分なりの解答を見つける訓練をする事を心掛ける。そして、子供達にそれを促す。
様々な知識を有機的に繋げられるように、知識の繋がりを感じとれるよう幅広い内容を指導する。
例えば微分積分と物理解析。算数の割合と理科の濃度。
このようにカテゴライズし過ぎず、有機的な繋がりを意識して学業に取組む事で論理的思考能力は鍛えられる。
エンジニア向けにもう少し突っ込んだ話をしてみましょう。
例えば 歯車と軸受けという異なる要素部品について考えます。
歯車と軸受けは異なる要素部品でありその設計手法も全く異なるように見えます。
しかし、設計手法を良く見ると、点と点が接触したのちに弾性変形によって接触面積が増大する要素部品です。
そうヘルツの弾性接触理論を用いて応力計算が行われ、それに基づいて設計が実施されています。
このように様々な要素部品の設計において、共通の知見が利用されている事が多くあります。
機械要素の設計を個別に学ぶと「異なるもの」という認識を持ち設計してしまいがちです。
しかしながら、上述したような共通の知見が利用されている部位が沢山ある事を考えながら様々な要素部品の設計に取り組む事で飛躍的に理解速度が速まります。
これらは後述する発想力の源泉にもなりますから、是非とも若手エンジニアの方には認識しておいて頂きたい部分です。
クリティカルシンキング能力は鍛えられるのか?
クリティカルシンキングとは批判的思考と言われる手法です。
「本当にそうか?」
と考え続ける論理手法の事です。
論理的思考能力と似た手法ですが、体系的にしっかり整理されているのが特徴です。
MECE(ミースィー)
![](https://www.kaonavi.jp/dictionary/wp-content/uploads/2019/10/mece_eyecatch.jpg)
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MECEを意識しながら、様々なフレームワーク・切口を用いて考え続け、解答を導き出す手法です。
このようにクリィテカルシンキングはビジネスに非常に役立つ手法として MBAスクールなどで大変良く指導されています。
よってSharari-man が考える命題の解答は以下のようです。
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論理的思考力と同じく、鍛えられる能力である。
まずは書籍で思考手法を学び、それらを用いた実践的な訓練で鍛える事が可能です。
アウトプットトレーニングを繰り返す事で 「クリティカルに考える思考の癖」 が体に染みつきます。
発想力は鍛えられるのか?
これが最も曖昧でしょうか。
発想力の定義としては例えば
今まで培った知識を基に新しいアイデアを生み出す事
となっております。
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もうすでに 「今まで培った」と言ってしまっているではありませんか・・・・・・・・
発想力をアイデアを出す力 と考えれば 大変エンジニアにとって親しみやすい項目です。
Sharari-manはエンジニアとして 「世界で初めて」 という特許を少なくとも 50件以上は出願・権利化しております。基本特許のみでです。
この技術を考え付くにあたり、突然脳に天啓が下りスラスラと技術構築出来た
なんて事は全くありません。
目的とする機能を達成するために必要な事項を要件整理し、その要件を満たすための合理的な手段を複数考え、取捨選択し、それらを有機的に統合する手段を考えた後に、一つの技術としてアイデアが生まれる。
このような流れになっております。
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論理的思考能力とクリティカルシンキングの能力を組み合わせ、自身が学んできた知見を最大限に活用する事で新しい技術が生まれる という事です。
以上の事から Sharari-man が考える命題の解答は以下のようです。
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論理的思考能力とクリティカルシンキング能力を鍛え、かつ様々な知識を拡充する事で、それらを組み合わせた能力である発想力は鍛えられる。
結言
地頭を構成する要素としては以下の内容が挙げられる。
- 論理的思考能力の高低
- クリティカルシンキング能力の高低
- 発想力の高低
そしてこれらは何れも 後天的に鍛えられる事を述べた。
よって 地頭 は 後天的に鍛えられると言える。
また後天的に得られた知識を基に構成されるのが地頭であるから、他人と容易に比較出来る能力では無い。
例えば優秀な航空宇宙の研究者が即座に漁業に関する革新的な技術を思いつく事は困難である。なぜなら前提知識が不足しているためである。
よって地頭とは 過度に他人と比較すべきものではなく、「昨日より地頭が良くなった」というように昨日の自分自身を比較対象とすべき能力だと考える。
Sharari-manとは異なる視点から見た意見
さて、以前に読者の方から以下のような意見を頂戴した事があります。
以下のグラフのように、人間はそれぞれ潜在能力の上限が決まっているのではないか?
という主張です。
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例えば受験勉強では同じ指導者のもと、同じ学習時間に取組んだとしても差が発生します。
これはエンジニア教育でもそうで、やはり個々に能力差は生じます。
もしかすると、この主張のように受験勉強においても限界値が決まっているのかもしれません。
先天的に潜在能力の上限は決まっており、それ以上の能力向上は見込む事が出来ないのかもしれません。
特に受験勉強という決められた範囲の学習を限られた時間内に実施するという特殊な環境では潜在能力の限界値に達しやすく、そのような傾向がみられるのかもしれません。
この点については以前に様々な論文を調べた事がありますが、明確な結論は得られませんでした。
算数道場で指導している中で感じる体感としては
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個人の成長力に差はみられるが、限界値に達したなと感じるお子様は見られない。
といったところです。
一方、本記事の主題である地頭【論理的思考力・クリティカルシンキング・発想力】というのは単純な能力とは言えない能力です。
具体的な例を挙げてみましょう。
私と同レベルの知識量・経験を持つエンジニアでも 知識のバックグラウンドが異なります。
私は産業機械(火力発電・ボイラ・工作機械・建築)などが主なバックグラウンドです。
私の同僚で航空宇宙・船舶などにバックグラウンドを持つエンジニアがおります。
現在同じ職場で業務に従事する二人ですが、我々二人が同じコンセプトで機械を構想設計した場合、もはや全く別物の機械になる場合が殆どです。
二人とも同じように要件定義を実施し、論路的・批判的に考え・発想力を駆使し・構想設計したはずですが、全く異なる製品が設計されます。
このように実戦では様々な知見を複雑に組み合わせて業務を処理するため、単純な能力毎に定められた潜在能力の違いというのは表れにくいと考えております。
計算処理能力・暗記力など狭い範囲での能力については潜在能力というものが表れやすいのかもしれませんが、実戦は大変複雑な事が多いため、潜在能力というよりは「個性」の影響が色濃く結果に表れるものではないかと考えております。
個性をもう少し具体的に言えば 今まで培ってきた知見とそれによって得られた経験 ですね。
例えば「計算能力」を今から Sharari-man が 必死に鍛えても 世界一計算が早い方には勝てないようにも思います。
ということで
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潜在能力理論というのもあるかもしれないなぁ・・・・
と思うところではあります。
しかしながら以下の理由を根拠として、「あまり気にしても仕方が無い」と考えております。
現段階では潜在能力の測定手段が無く知る事が出来ない。
社会に出れば能力を複雑に組み合わせて戦う事になり、それらの潜在能力測定はより困難である。
よって、潜在能力がどうあれ 自分を信じて努力する という行動指針に変わりがない
その方との議論では以下のような興味深い内容もありました。
過去にはどちらが形勢有利か素人が判断出来なかった「将棋」というゲームにおいて 「AIによる評価値」 が導入された事で、素人にも形勢判断が可能になり、新しい楽しみ方が開拓された。
同じようにAIを利用する事で、もし潜在能力というものが数値化出来れば、個々の潜在能力が高い分野を効率的に伸ばす事が可能となり、学び方の根底を変える事が出来るのではないか?
というものです。
このように潜在能力理論が正しかったとしても、それは悲観的なポイントばかりでは無い。
個々に最適な学習方法の提案が出来て効率良く能力を向上させられるなどの良い点もあるのではないか。
というアイデアと主張です。
一方で好きな職業に就けない、数値化された潜在能力による差別が発生するリスクもあります。
このような違った視点からの考察は大変興味深いものであります。
読者の方から意見を頂戴した場合は積極的に情報収集に取り組む意向です。
また、Sharari-manは能動的にこれらの情報収集を実施していきたいと考えております。
Sharari-manのマインドセット
何でもかんでも 地頭 だったり 才能 だったりのように 先天的であるという理由を探して暮らすのは楽しくないと考えております。
スポーツなどの特定分野では明らかに先天的な身体的特徴の影響が強い場合がありますが、全てがそうだと考えるのは楽しくないという主張です。
私がエンジニアを指導する際に良く
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出来ない理由を考えるだけではなく、どうすれば出来ないから出来るに変える事が出来るのかを考えなさい。例えばそれには「~ならば」という条件が付いても良いから、出来るに変える方法を考える事に傾注しなさい。
と伝えております。
地頭が悪いから偏差値が低い
地頭が悪いから良いエンジニアになれない
地頭が悪いから良い研究者になれない
地頭が悪いから良い医者になれない
などと考えるのは時間が勿体ない。
どうすれば偏差値が上がるのか?
どうすれば良いエンジニアになれるのか?
どうすれば研究者になれるのか?
どうすれば医者になれるのか?
そのために必要な能力は?
その能力を鍛えるために必要な手段は?
こう考える事が 前向きに、人生を楽しく生きて行くコツだと考えております。
子供達や若手エンジニアには 「地頭が悪い」 などの 良く分からない才能論に惑わされず
「必要な能力は何なのか?」
「それはどうすれば鍛えられるのか?」
にフォーカスして弛まぬ努力を続けて頂きたいと考えております。
私も
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子供達や若手エンジニアの能力を効率良く伸ばすために、私に必要な能力は何なのか?
について毎日考えております。
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新しいものを生み出したり、能力を得るためには 誰でも 苦心惨憺(くしんさんたん)するものです。
その 苦心惨憺 を楽しめる マインドセットが大事だと考えております。
我が家の学習事例が少しでも家庭学習に取組む皆様の御参考になりましたら望外の喜びです。
ではまた!
コメント【コメント非公開、メールでの返信を御希望される方はその旨をご記入下さい】
コメント一覧 (4件)
さらーり様
いつも楽しい考察有難うございます。とても勉強になります。
またさらーり様のマインドセット、本当に憧れます。そうなれたらいいな、とは思いつつも現実はいつもそうはいきません。
さて、私の感覚的な地頭解釈を試案として書かせて頂きます。本文の潜在能力理論とは趣が異なりますが。
地頭=芸術、鍛える頭=技術、という見方ができるのではないかと思います。世に出る作品は文学、音楽、絵画などあり芸術に分類できるとは思いますが、技術でいくらでも
品質を高めることができます。しかしゴッホやモーツアルトなど、どうしてもその域(あえて高みとは書きません)に達せないものもあると考えます。分けて考えるのもナンセンスかもしれませんが、能力的に先天か後天かという意味で分けて考えると理解しやすい(証拠はありません)と思います。
国語塾のふくしま先生は、芸術は学べないが、技術は学べる、そう対比関係でおっしゃっていたと記憶しています。先天的が地頭、ただしこれも自然成長する、後天的が鍛える頭でその成長のためのノウハウはいくらでもある。この2つが様々な形で混ざり合い結果として現在の能力を形作っており表面に現れます。論理的思考能力、クリティカルシンキング、発想力も先天的なもの(芸術的)、と後天的なもの(技術的)が混合した状態と思います。
地頭とはノウハウを学ばずに構築できる力という定義が良いと思います。芸術ってそうですよね。それに対して技術は学んだものを結びつけて新しいものに繋げる形です。あるお子さんが全くみたこともない算数の問題に対し、考えれば出来る、と言いました。これこそ地頭と考えます。
そして地頭の特徴と私が感じるのは『美しさを求める』ことです。E=mc2や、eのi
π乗=−1はただただ美しい。純粋なものに惹かれる、という点では現世界とあわないかもしれません。
冗長になってきましたのでまとめます。
地頭は芸術で美しさを求める。鍛える頭は技術でゴールを求める。
そういった意味でさらーり様のマインドセット=楽しさを求める、は美しさに近く、地頭の成長過程にアクセスしているのかもしれません。だからこどもたちが異常に早い伸び方をしているのでしょう。
つまり、教育の新形態です。
結論がはじめとずれてしまいましたが、ご参考になればと思いこのまま書いておきます。
なお、この考察は私の考えであり、ふくしま先生以外の参考はありません。
今後もさらーり様の楽しい記載、楽しみしております。
ぞうさん様
Sharari-manで御座います。
いつも参考になるコメントありがとうございます。
中々 先天的、後天的の判断は難しいですね。
実際に私が出会った最高峰の天才は
「この方には敵わない」
「到底、このレベルに達する事が出来るとは思えない」
というレベルの方です。
しかし、その方は
「努力すれば誰でも出来る事だよ」
と仰られます。
驚くほど楽しそうに仕事に取り組んでおられます。
その方を見た時に
「天才というのは特定の分野に対して異常な情熱を燃やし、人から見れば苦行と思えるような事を楽しく取り組める方の事を言うのかなぁ」
と思ったものです。
芸術分野でもこのような方が多いように思いますね。
>あるお子さんが全くみたこともない算数の問題に対し、考えれば出来る、と言いました。これこそ地頭と考えます。
このような方がいらっしゃるのですね。
大変興味深いですね。
ラマヌジャンさんがこのようなタイプであると聞いた事がありますが、実際にこのタイプの方とお会いした事がありません。
エンジニア業界の場合、開発案件が高度になり過ぎて、必要とされる前提知識が多すぎるせいで、このような事例が少ないのかもしれません。
学術だけでなく、生産手法、販売手法など企業活動全体を把握し、開発をしなければ、良い製品になり得ないため、天啓というよりは培った知見がモノを言う業務な気がしております。
>そういった意味でさらーり様のマインドセット=楽しさを求める、は美しさに近く、地頭の成長過程にアクセスしているのかもしれません。だからこどもたちが異常に早い伸び方をしているのでしょう。
私のマインドセットは主に上述した天才エンジニアに師事していた時に培ったものです。
「楽しむ」というのもその方が繰り返し発言されていた事です。エンジニアとしても人間としても大変尊敬できる方でした。
いつも大変参考になるコメントありがとう御座います。
また、気が向きましたらお気軽にコメント頂けると嬉しく思います。
Sharari-man様
コメント有難うございます。具体的な『師』のお話、とても感銘を受けました。身近によい師に恵まれたこと、羨ましいです。
その師の方もおそらくギフテッド系の方(俗にいう天才)と思われます。それで思い出したことがあります。
私の周囲にもギフテッド系の方(あくまで私の評価、いわゆる天才)が複数おりました。皆に共通することはまず、
視線が違う(視点ではありません)
ことです。会話をしていてもどこか遠くを見ています。そして
楽しそう
でした。いつもにこにこしていました。何かを発見することが楽しいような印象でした。各自の個性は違っていましたが会話中の動作に特徴があり、それは皆、自分を楽しむ、ようなしぐさだったような気がします。いわゆる『地頭』のよい人たちです。Sharari-manさまの楽しむがここに隠れていたことを認識できました。有難うございました。
そして美しさの件。
私の周囲の彼らのうちの一人が私に言いました。
『○○くん、△△って美しいね。』
何について言及したかは忘れてしまいましたが、数学か理科系のことでした。この潜在記憶が私の、地頭=美しさを求める、につながったのかもしれません。
地頭は芸術であり、美しさを求め、楽しんでいる。
文章を長くしてみました。いかがでしょう。
現在私の周りにギフテッド系のお子さんが複数います。実は皆、日常生活に苦労しています。こども社会、学校という大人との社会にいると不自由なことが多いようです。このようなお子さんたちの地頭を伸ばしていきたいなあ、と常に思っております。
また楽しい記事をお願い致します。
ぞうさん様
Sharari-manで御座います。
いつも参考になるコメントありがとうございます。
師匠は本当に凄い方でして、私目ごときが人となりを語るのも恐れ多いですね。。。。
>現在私の周りにギフテッド系のお子さんが複数います。実は皆、日常生活に苦労しています。こども社会、学校という大人との社会にいると不自由なことが多いようです。このようなお子さんたちの地頭を伸ばしていきたいなあ、と常に思っております。
素晴らしいお考えだと思います。
現代の教育というものは 「平均点が高い人材を量産する」 という考え方に基づいていると思われますが、その陰で 特化型の人材が埋もれてしまいがちだと考えています。
道場では理系限定ではありますが、このような特化型の人材が伸び伸びと切磋琢磨して成長していける環境を提供してあげたいと考えています。
文系特化型の人材を育てられる仲間を勧誘しておりまして、そちらの方面も対応出来ればなぁと考えております。
息子や道場の小6設計大好き少年を見ていると
「子供でも指導すれば立派な設計が出来るようになる」
という事を実感しております。
このようなお子様達が楽しく学びを突き詰められる環境が各所に存在すると良いですね。
また、逆に指導者のスキル不足や家庭環境によって充分に学習モチベーションが高められず、「学習障害がある」というレッテルを貼られてしまっているお子様もいらっしゃると思います。
このようなお子様達を救済したいという思いも御座います。
年寄りになりましたが、やりたい事が沢山あり、まだまだこの人生を楽しめそうです。
ではまた!