さて本記事では我が家の学習目的について書いてみようと思います。
読者の方から貴重なご意見を頂戴したため多少追記致しました。(2023.6.11)
ちなみに本ブログはこのような 個人的な主張を述べる 「自由帳」 が多いブログです。
学習に参考になる記事ばかりでは無い事を御承知おき下さい。
はじめに
さて目的は御家庭毎に異なると思いますし、それを否定するものではありません。
しかし、目的の違いを理解しないまま 相手を批判したり否定したりするのは良くありません。
また、私が最も嫌悪するのは ヘイトスピーチなどの差別 です。
具体的には以下のような発言ですね。
**卒(中卒、高卒、Fラン大卒など)の方はだめね・・・・
**高校の方はだめね・・・・
**国の方はだめね・・・・
以前に運営していたブログでも、このようなヘイトスピーチ発言をされる方は即座にブロックしておりました。
成人以前の子供ならばまだしも、大人になってからこのような発言をしている方の是正は中々大変です。
以下の記事でも書いておりますが、個人(あるいはチーム)としてどのような成果を挙げたかが重要であるとの考えに基づくものです。
人をカテゴライズして一括りにして能力を判断するのは愚かな事です。
社会貢献をしながら面白可笑しく生きる能力を身に付けるため
我が家の目的は「社会貢献をしながら面白可笑しく生きる能力を身に付けるため」となっています。
フィロソフィーにも記載しております。
よって 受験合格 に特化した学習はしておりません。
ただし、受験合格が目的ではありませんが、公立学習カリキュラムなどの優れた学習カリキュラムは積極的に取り入れたいと考えております。
公立カリキュラムは色々と批判もありますが、スモールステップで学べるように良く練られています。
算数 ⇒ 中学数学 ⇒ 数ⅠA ⇒ 数ⅡB ⇒ 数ⅢC と順序良く学べば、多くの方が理解しながら進められる構成になっております。
このカリキュラムをイチから個人が考えて進めるのは非常に大変です。
社会貢献をするために必要な最低限のスキルを身に付けるためには公立カリキュラムを利用する事が有効であり、我が家の目的と合致しています。
Sharari-manが公立カリキュラムを採用する方針・目的をまとめると
①目的は社会貢献をしながら楽しく暮らすための能力を身に付ける事
②そのためには様々なスキルを身に付ける必要がある。
③公立カリキュラムは良く練られており、それらのスキルを効率良く身に付けられる。
④よって公立カリキュラムを先取りする事は我が家の目的と合致する。
このような論法になっております。
当初は中学受験の学習をする予定はありませんでしたが、調べてみると、中学受験算数、理科のカリキュラムは中々に優れている事が分かりました。
具体的には 算数と理科に関する知見を拡充しながら、読解力・条件整理力など様々な能力を鍛えられる点です。
この点に魅力を感じ、公立カリキュラムと並行して、息子や一部の道場生に対して中学受験に関する学習の指導をしております。
受験勉強の目的は?
受験合格が目的の方を否定するものではありません。
目的によらず、学ぶという事は大変良いものです。
受験合格のための学習には以下のような特徴があります。
出題範囲が決められており、明確に範囲外の問題は出題されない。
能力としては
出題範囲内の典型題を確実に素早く解く能力
ケアレスミスをしない能力
などが要求されます。
つまり
狭い範囲を深掘りし、それらに関する問題を高速でミス無く処理出来る能力を試すための試験
と言えるかと思います。悪い面を意図的にクローズアップすれば以下のようです。
高得点を取るために範囲内の学習を繰り返し実行する事が求められ、範囲学習に縛られる。
具体的には高校数学、高校物理という範囲に縛られ、実用的な大学数学、物理を学ぶ機会を損失する。
受験で得点を取るための英語という範囲学習に縛られ、英語学習の本質的な目標である
「英語圏の方とコミュニケーション手段を得る事」が疎かになる。
このようなデメリットが存在する事を指導者は理解しておくべきだと考えております。
資格試験は多少異なります。技術士・弁理士などは広大な範囲学習が必要です。恐らく医師免許も凄まじく範囲が広いかと思います。また、それらの学習は大変実践的である場合が多いでしょう。
受験というものは 順番を付ける事 を目的としています。
絶対評価で全員が既定の能力値に達しているかどうかを見る試験ではなく、相対評価で人を評価する試験です。
しかもそれは上に挙げたような能力に対する評価に特化しています。
例えば社会で活躍しているが、受験が苦手だった方の例としては以下のような方が挙げられます。
- ケアレスミスは多いが、驚くような発想力で面白いアイデアを沢山出す方
- 思考の瞬発力は低いが、じっくり粘り強く考える事が得意で、長時間考え続けられる方
※長時間というのは1時間とかのレベルでは無く、1ヶ月、3ヶ月、1年といったスパンです。 - 狭い範囲の深掘りではなく、広く浅い範囲学習が得意で、そこから様々なアイデアを捻出出来る方
- 数学・物理などの一分野に大変特化した実力を持つ特化型人材の方
受験合格を至上目的とした場合、これらの能力の方は過小評価される事になります。
しかし、現実はこれらの能力を持つ方の多くが社会で活躍しておられます。
この点については指導者、親御様はしっかりと理解した方が良いと考えております。
結局のところ、【受験勉強の目的】は入試で高得点を取る事
になります。
なぜこのような対比をしたかと言いますと
Sharari-manの主張は以下の二点は似て非なるものだという事です。
【受験で高得点を取る能力】
【社会貢献をするための能力】
例えば、医師などは医学部が難関のため、全力で【受験】に打ち込む必要がありますが、医師になった後は、道徳・コミュニケーション能力 が重要なはずです。
テストの点が良いからこの子は大丈夫!
ちゃんと成長している!
ではなく
道徳観、コミュニケーション能力、論理的思考力なども社会貢献のためには重要だと指導者が理解した上で、指導を進めるとお互いハッピーではないのかな、という主張です。
Sharari-man の独り言
日本では 例えば、医師・官僚になる場合においては 「受験のための学習」 で一定の成績を収める必要があります。
これらの職業を目指す事が明確な目的として決まっている場合は、「受験のための学習」は必須であり、否が応でも取り組む必要があります。
しかしながら、それ以外の目的、例えば科学者・エンジニア・弁護士・公認会計士などを目指す場合は必ずしも「受験のための学習」に打ち込む必要はありません。
高校数学、英語、社会、理科を学ばなくても良いと言っている訳ではなく
点数を取るためのテクニック
過剰な深掘り
過剰な暗記学習
に工数をかける必要は無く、全体を俯瞰して眺め、範囲学習を進めながら、興味の深い分野の深掘りに工数を使っても良いという主張を述べております。
上で述べたように 例えば医師になるためには「受験のための学習」にかなりの工数を割く必要があります。
しかし、本質的には 医師になるためには
道徳
コミュニケーション
医学
に関する知見が重要視されるべきであり、「受験のための学習」ではないはずです。
ここは社会の教育体制の不備と言いますか、構築が困難なゆえにそうなっている点と言えるかもしれません。
医者になるために医学部に入るのに、医学部に入るために医学と関係の無い事の深掘りをし続けるという恰好ですから、モチベーションを高めるのは中々に困難でしょう。
本当は
★臨床医
高校 ⇒ 医師専門学校 ⇒ 医師国家試験
高校 ⇒ 大学医学部 ⇒ 医師国家試験
★研究医
高校 ⇒ 大学医学部 ⇒ 医師国家試験
というようにルートを分けても良い気がします。
高校で最低限の教養を身に付けた上で、専門学校で医学・道徳・統計などについて学ぶ格好です。
どうでしょうか?医師の方に意見を聞いてみたいところですね。
仕事で御一緒した医師の方からはこのような意見を聞く事も多かったように思います。
エンジニアでしたら
★企業エンジニア
中学 ⇒ 高専
高校 ⇒ 専門学校
★大学研究エンジニア
高校 ⇒ 大学工学・理学
このように分けた方が、それぞれが興味の深い分野の深掘りに特化出来るため、学習効率は良いように思います。
「受験のための学習」は社会貢献する力を身に付けるための学習方法として良いのか?
また順位付け手段として良いのか?
未だに良く分かりません。
道場運営を通じて今後も模索していきたい点でもあります。
様々な職業に共通して言える事ですが、体力・道徳観・倫理観・コミュニケーション能力は非常に重要です。
しかし、これらは受験では適切に評価が為されているとは言えず、今後の教育に対する課題と言えそうです。
我が家の学習事例が少しでも家庭学習に取組む皆様の御参考になりましたら望外の喜びです。
ではまた!
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