さて、表題の件です。
子供達は将来社会に出て社会貢献を行う訳ですから、今は社会貢献をするための力を溜めているという事です。
日本国憲法では以下の義務が国民に課されています。
- 教育の義務
- 勤労の義務
- 納税の義務
法によって 勤労し納税する、つまり社会貢献を行う事が義務付けられているとも言えます。
社会貢献 と言うと 無償の奉仕 というイメージがあるかもしれませんが、Sharari-manの定義は以下のようです。
社会貢献
当人の利益の有無に関わらず、社会発展、弱者救済に繋がり、かつ社会全体の幸福度を底上げするような活動の事。
Musukoの言葉を借りれば 『笑顔の総量を増やす活動』 です。
学校教育にかかる税金
さて、学校教育について考えてみましょう。
神奈川県の以下の資料から引用します。
小学校6 年間で約585.0万円
中学校3年間で約336.6万 円
高等学校3年間で 約318.9万円
12年間合 計で約1,240.5万円の 税金が使われています。
引用終わり
大学の運営費は如何でしょうか?
以下の東京大学の資料より引用致します。
国立大学への国からの基幹的な資金である運営費交付金は、収入の4割であり、その比率は年々低下。
引用終わり
さて、本資料からも明らかなように学生というものは基本的に社会に助けられて存在しています。
平均すれば国から一人当たり 100万円/年 程度の税金が投入されています。
この目的はと言えば、子供達に社会貢献をするための力を身に付けさせる事 であります。
学校教育の現状
さて、以下の記事で 公文式は役に立つ と申し上げました。
この 役に立つ には 『受験に対しては』という枕詞が付きます。
受験は簡単に言えば、 限られた時間内に多くの問題を正確に解く事を競うゲームです。
その中では 公文式で身に付けた 早く正確な計算力が役に立つというのは当たり前の話です。
さて、このような力が社会貢献に役立つか と考えるとどうでしょうか?
Sharari-manの意見は 『ほんの僅かに役立つかもしれない』 というものです。
機械設計、開発、研究というカテゴリーで言えば、計算が早い事が稀に役立つ事があります。本当に稀ですね。
基本的に大規模な演算はコンピューターで実行しますから、実務において四則計算や積分計算を自分で実行するという事は殆どありません。
例えば開発した機械の FEM解析(有限要素法解析)を人間が出来るかと言えばほぼ不可能です。
それくらい膨大な計算量です。世界最速の計算能力を持っている方が実行してもコンピューターには敵いません。
このように 殆どの業種において実務で必要とされない能力 が 受験では必要とされている という不合理な状態になっているのが現状です。
以下の図のようです。
エンジニア と 医師 をモデルケースにしております。
医師は臨床医 をイメージしております。
エンジニアの方が 物理、数学、化学、生物などを使うケースが多いと思いますから、やや緑色よりにしています。
とはいえ SEASON1 と SEASON2 で必要な能力の相関が低い事には変わりがありません。
ここが現代の学校教育の問題点だと考えております。
SEASON1は主に一般教養
SEASON2は実学
とみなす事も出来るでしょう。
Sharari-manが算数道場で教育を進める中で常々考えている学習スタイルというものは以下のようです。
特に大学受験で要求される能力というものは中々特殊です。
国立最高峰である東京大学の数学の問題を解いてみても
計算能力を相当鍛えていないと解けない(時間が足りない)ような問題を出す意図は何だろう?
と思うところがあります。
その一方で 物理の問題では 2023年 大問2 のように現実の世界に存在する機器をモチーフにしたような実学よりの問題も出題されています。
作問担当者も「選別もしないといけないし、あまりに突飛で実務に役立たないような内容を出すのも嫌だし・・・・」
と悩んでいるのだろうと思います。
さて、一方で文系はどうでしょうか?
法学、経済学、政治学 これらは当然ですが 統計学が重要な学問です。
しかしながらこれらの学部は 文系 とカテゴライズされており、殆どの学校では入試科目に数学がありません。
不合理でしょう? 将来 法曹、政治家、経済学者になろうという者が実務でかなり使うであろう統計学の能力を入試までに磨かなくても良いという事です。
本来、大学というものは将来就く職業にある程度特化した学問を学ぶ場所のはずです。
そして、その学問を学ぶために必要最低限の能力を持っているかどうかを測る。これが入学試験の本来の目的のはずです。
しかしながら実際は上に述べたように、実務に全く必要の無い能力が要求されたり、必須に近い能力が測られないというのが実情です。
学校教育の現状というものはこのような問題を抱えていると考えております。
将来を見据えて
さて、上で述べたような学校教育の問題点がある以上、実は大学に進学するという行為は万人にとって合理的とは思えません。
大学卒業が就業資格に直結する医師や研究者を志す者にとっては合理的でしょう。
しかし、それ以外の方にとっては、大学受験のために将来就く職業であまり役に立たない能力ををひたすら磨き続けるという不合理な内容になっております。
このような学校教育の仕組みを個人の力で変えていくのは非常に困難です。
よって、各個人が良い学びを得るためには 不合理な環境下の中で少しでも合理的に学び進めていく工夫が必要になります。
合理的に学ぶためのファーストステップは やりたい事を見つける事 です。
ふわっとした曖昧なイメージで良いでしょう。
医師になりたい。
エンジニアになりたい。
小説家になりたい。
歴史学者になりたい。
政治家になりたい。
数学者になりたい。
高速鉄道を作りたい。飛行機を作りたい。宇宙船を作りたい。機械を作りたい。美味しい料理を作りたい。
社会に貢献出来るものならば何でも良いでしょう。
うちの子 やりたい事が無いのよ・・・・
こんな声も良く聞きます。
子供が単独でやりたい事を探すのは容易ではありません。
一人で訪問出来る場所も限られます。
やりたい事を見つけるためには、基礎的な知識と興味を持つきっかけが必要です。
算数道場で会社訪問などの課外学習を実施しているのは このようなきっかけを与えてあげたいからです。
やりたい事、目標があれば学習意欲も湧き、モチベーションが上がります。学習の過程で「もっとやりたい!」と思う事もあれば「興味がなくなった」と思う事もあるでしょう。
それはそれで良いと考えております。選別が進んだという事ですから。
様々な事を調べ、自分のやりたい事を見つける活動というのは非常に重要です。
Sharari-manは受験勉強よりも大事な事であると考えております。
将来を見据えた学習を進めるためには 「なりたいもの」「やりたい事」を見つける事が大事です。
それが決まれば やるべき事、学ぶべき事は自動的に決まります。
例えば道場では 子供達がエンジニアになりたいと言えば、それに適した指導をしています。
工学を一緒に学んだり、プログラミングや電子回路工作をしたり様々な活動をします。
他の職業を志すお子様もいますが、それについても可能な範囲でSharari-manが必要な内容を調べ、学び、適した学問を指導したり、課外学習を実施するなどしております。
やりたい事が何もないから大学に行く。学部も適当に決める。
このような状態のお子様が多いのはSharari-manを含めた現代の大人達の責任だと感じております。
同自治会のみという狭い世界では御座いますが、道場生がやりたい事を見つけられる環境の提供を今後も続けて参りたいと考えております。
教育改革
現在の教育体制は良く列車に例えられます。
本当は好きな駅で降りて、色々な道を探せるのに、皆が乗っているから乗り続けている。
大学に行かなければ仕事が出来ない訳ではないのに、皆が大学に行くから、自分も大学を目指す。そして、やりたい事探しをするのではなく、大学に行くための学習を続ける。
このような状況です。
全員がやりたい事を見つけられる訳では無いと思いますが、大人達が子供達がやりたい事を見つけるためのサポートを実施し、子供達が自由な発想で必要な学びを得られる社会体制というものが構築出来ないものかと思います。
このような社会がもし実現すれば、それはそれで課題が噴出するでしょう。
大学までの学習というレールが無ければ何も出来ない子供達が大勢生まれるかもしれません。
しかしながら、「やりたい事が無い」という学生、社会人が多い現状を顧みるに、やはり教育改革は必要ではないかと思います。
さて、学習者側の取組としては以下の記事群に示しております。
さて、改革を進めていくためには学習者側だけでなく、受け入れ側、つまり企業の改革も必要です。
なぜ多くの方が難関大学を目指すかと言えば、多くの企業が難関大卒を優遇するからです。
殆どの企業で働く社会人にとっては コミュニケーション能力、想像力、自制心、継続的に学び続ける力、その職業に特化した知見と経験、行動力などが大変重要です。
これらの能力が 大学入試 で測れるかと言えばそうでもありません。
例えばコミュニケーション能力、行動力、職業に特化した知見と経験などは殆ど測る事が出来ません。
本来、企業の採用活動はどこの大学卒かどうかは気にせず、上に挙げたような能力を測るための入社試験を実施した方が合理的です。だってそれが企業が必要とする社員に必要な能力なのですから。
もしかすると難関大卒の方は上に挙げたような能力が高い方の比率が高いかもしれません。しかしながら、低偏差値帯の大学にもその能力が高い方は大勢いらっしゃいます。
企業側は採用効率を重視し、学歴フィルターをかけているのだと思いますが、それは合理的な選別手段ではありません。本来は会社にとって必要な能力を持っているかどうか? を選別するのが採用試験ですから、企業側もこのような能力を測るための評価手法を開発していく必要があるでしょう。
大変な努力が必要だとは思いますが、必要な事であると感じています。
リクルート社に採用という超重要案件をアウトソーシングしている企業を見ると大変心配になります。
新卒採用という枠組みにこだわる必要もありませんし、年齢,学歴など全て無視して、必要な能力を持った人材を予算内で採用すれば良いと考えています。
学生の受け皿である企業側が変化する事で学生の意識を変える事が出来るように思いますから、企業側の人間として継続して努力を続けて参りたいと考えております。
新しい技術に触れ、技術を学ぶ
さて、近年は技術の進歩が目覚ましく進んでおります。
ChatGPTを始めとする言語系AIが素晴らしい成果を挙げています。
ChatGPTに関しては教育業界からは否定的な意見も御座います。
理由として良くあげられるのは以下のようです。
子供が宿題をChatGPTにさせてしまい考えなくなる
ChatGPTに依存した活動を行うようになる
Sharari-manの意見としては以下のようです。
便利な相談相手、便利な辞書 として使用すれば良い
例えばMusukoにとって現在この役割を演じているのはSharari-manです。
難しい問題で分からなければ、聞けば答えてくれます。
違いはと言えば、「どこまで伝えてどこから考えさせるか」を考慮してくれないところです。
「考えなくなる」という主張は「何でもすぐに答えをChatGPTに聞いてしまう」という意見なのだと思いますが、現状でもグーグル検索を使えば作文の例、算数の解答はすぐに見つかります。
実際に書きうつしに近い行為をしている学生もいるでしょう。
要は使う側の問題です。
良い点も多くあります。
口語体で質問に答えてくれる辞書 と考えれば大変有用ですし、学習の効率化も可能です。
我が家ではアマゾンのアレクサがそのポジションを担っている部分もあります。
ChatGPTを使う中でAIプログラミングに興味を持つお子様もいるでしょう。
禁止をすればこの興味の目を潰してしまう事になります。
子供達の世代が大人になる頃には言語AIがもっと一般化し、様々なシーンで活用されるようになるでしょう。
学習方法も様変わりするかもしれません。
危険そうだから、堕落しそうだから、という理由で新しいテクノロジーを回避せず、そこから学びを得られるように使う側が工夫すれば良いのだと考えております。
我が家では新しい技術に積極的に触れ、興味のタネを増やす活動をしています。
展示会や企業や研究室を訪問する活動もその一環です。
子供達が興味を持った事に関連した学びを提供し、実践的な能力を身に付けられるようサポートする。
これは現在の学校教育では難しい事ですから、算数道場で継続的に続けていきたいと考えております。
表題に示しております 将来を見据えた活動 ですね。
公教育が苦手としている部分を 家庭学習で補うための活動 とも言えるでしょうか。
あとがき
さて、本記事を書くにあたり過去記事を見返しておりましたが、似たような記事を沢山書いておりますね(笑)
もはや書く事がなくなってきたのかもしれません(笑)
その時々で多少は私の考え方も変化しておりますから、「その時点の考え方」を記録に残すという意味はあるかもしれません(笑)
受験が求める能力 と 実践で必要な能力 の乖離幅を何とかして少なくしたいなぁと常々考えております。
例えば そろばんで計算が早い、漢字でトメハネが完璧 なんて技術はアート,伝統技能的な側面を除けば 実戦(社会活動)で使う事は殆どありません。
実践で使う事だけを学べ!
なんて事は思いませんが、受験でしか使わない技術を膨大な工数をかけて学ぶ事には疑問が残ります。
時代の流れ、技術の進化に『受験という仕組みの進化』が追い付いていない事が原因だと思います。
受験は苦手だけどコミュニケーション能力が高く、想像力の高い子供なんて沢山います。
こういったお子様は本来社会で活躍出来るはずですが、受験があるがゆえに埋もれてしまっている、成長の機会を逸失している側面もあるでしょう。
このようなお子様達にスポットライトが当たり、笑顔で活躍出来る社会がくれば良いですね。
さて、プロット無しで手なりで書き上げたため、まとまりの無い記事になってしまいました。
適当に読み流して頂ければ幸いです。
我が家の学習事例が少しでも家庭学習に取組む皆様の御参考になりましたら望外の喜びです。
ではまた!
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