2024.2.15 加筆修正(誤字脱字がひどい・・・・国語力が欲しい・・・)
2024.2.17 『才能とは何なのか』に追記しました。
さて、読者様からご要望がありましたのでSharari-manの考える才能に関する私見について執筆してみました。
ご要望を頂いた読者様、大変執筆が遅くなってしまった事をお詫び致します。
急いで書き上げましたので、誤字脱字等があるかもしれませんが、後日修正させて頂きますので、御容赦願います。
才能とは何なのか?
さて、Sharari-manは以下のように考えております。
人間を機械のようにソフトウェアとハードウェアで分けて考えます。
ハードウェアとは骨、肉、脳、つまり肉体そのもの事を指します。
ソフトウェアとは人間の内面、気持ち、性格、モチベーション、つまり内面的な何かを指します。
以下の図に示すイメージです。
人間の才能とは ソフトウェアの中にあるものである。Sharari-manはこのように考えております。
ある対象を好きになり、夢中になる。
それこそが「才能」であり、一般的な健常者にとって、生まれ持ったハードウェア性能は能力の上限を決定する支配的な要因では無い。
このように考えております。
【追記】
下に書いてあるベクトル図で言えば
各方向のベクトルの大きさの合計値は人間毎にそれほど差が無いと考えていて、『強さ』の制限値があるイメージです。
例えば合計値が100とすれば、特化型は最大90程度まで一方向に注力出来るが、バランス型は最大でも60程度までしか注力出来ない。そのようなイメージです。
理性だったり、常識だったり、欲望だったり、何かが邪魔をしてそこまで振り切れない。
上手く伝わるでしょうか・・・・。
人間を3種類に分類する
人間の場合、機械と異なり、ハードウェアを成長させる事が可能です。
筋力トレーニングをすれば、筋力が増大し、計算演習を行えば脳の処理速度が向上します。
適切な食事とトレーニングを繰り返せば、ある程度は身長も伸びます。
この成長率を決めるものはソフトウェアです。
筋力トレーニング,計算演習に取り組もうという気持ち・モチベーションを生み出すのはソフトウェアです。
「楽しい」「面白い」「もっとやりたい」「もっと成長したい」
このような感情に基づき、どう行動するかを決めるのもソフトウェアです。
しかし、このような感情を生み出している器官が何で、どのように制御されているのかは解明されておりません。
「将棋が好き」「サッカーが好き」「山登りが好き」「演劇が好き」「研究が好き」
好きという気持ちが向かう方向はまさに十人十色であり、人によって その「強さ」「方向」は異なります。
この「強さ」と「方向」の両方が極端な人間が いわゆる天才、「才能がある人間」であると私は考えています。
これをベクトル図で表すと以下のようです。
特化型人材
「強さ」と「方向」が極端に偏向している特化型人材、例えば棋士、スポーツ、芸術、研究などの分野で他を圧倒する異常な能力を発揮します。『天才』『才能がある』と呼ばれるタイプはこの特化型人材であると考えております。
一方、他を犠牲にし過ぎる傾向があるため、日常生活においてやや苦労があるように思います。
このカテゴリーの人材はSharari-manの人生経験上、1%以下であると考えております。
バランス型人材
「強さ」と「方向」が適度に分散しているバランス型人材は社会適合性が高いと言えます。
Sharari-manを含む殆どの方がこのカテゴリーに属すると考えております。
※社会(企業活動)においては特化型よりバランス型の方が活躍出来る場所が多い。仕事を円滑に進めるためには様々な能力が要求されるからです。
分散型人材
「強さ」と「方向」が極端に分散している人間はどの分野においても成長が不十分に終わりやすく、一定水準の能力が得られない場合が多い。
色々なものに興味を示すが、飽きっぽく、長続きしないようなイメージです。
このカテゴリーの方も少なく、体感5%程度ではなかろうかと考えております。
存在比率
Sharari-manが企業での指導経験を基に統計を取っているデータを加工したものですが、当然ながらエビデンスの提供は出来ません。
また、定性的な評価にならざるを得ないため、『体感値』と思って頂ければ良いでしょう。
バランス型の中にも特化寄り、分散寄りがいらっしゃいます。
概ね以下のような比率であると考えております。
成長するためのリソースをどこに割くのか?
成長するためのリソースである時間は全ての人間にとって平等です。
この時間というリソースをどこに割り当てるかを決定するのが人間が持つ「自由意志」であり、それこそが『才能』と呼ばれるものの正体であると考えています。
この「自由意志」は自由という言葉とは裏腹に外的な要因で変化するものです。
何かを決定しようとした時、信頼出来る誰かの意見の影響を受ける事は避けられません。
中の良い友人が好きなモノを好きになる。一緒にやろうと思う。これも外的な要因です。
Sharari-manは以下のように考えております。
特化型以外のバランス型および分散型の方はベクトルの『強さ』と『方向』をある程度制御可能だと考えています。
よって、この2型については『才能』は後天的に変化可能であると考えています。
『才能』という言葉自体が『先天的』な意味合いの強い言葉ですから、矛盾すると思われるかもしれません。
バランス型の方が後天的に特化型になる事は困難であるとの考えに基づき『才能』としております。
特化型人材のリソース配分
さて、上で自由意志は「外的な要因で変化する」と述べました。
特化型人材は例外です。
変化しないから特化型だと言えます。
『特化型』に属する人間は外的な要因だけでは説明出来ないほどの、異常とも言える情熱・熱意・執念を持って、対象を愛し、対象に取り組みます。
食事をしている時、眠りにつく時、運動をしている時、友人と遊んでいる時、いつでも、どんな時でも対象の事を考えています。
当然ながら「対象次第」という事になりますが、それが数学であった場合、異常な集中力かつあらゆる時にそれを考え続けるため、非常にハードウェア性能が向上しやすくなります。
例えば対象が数学であれば、論理的思考能力や計算能力が非常に高い水準まで鍛えられます。
鍛えられたハードウェア性能のおかげで数学以外の色々な事に対する処理能力が高まります。
一方、数学に関連の無い能力に関してはエアポケットのように能力の低い状態になります。
日常生活に関連する能力が著しく低いなどです。
これはSharari-manが出会った唯一の特化型人材がそうであったという事実に基づく論です。
n数が n=1と極端に低いため信憑性は低いと考えて頂いても良いでしょう。
Sharari-manは「こうではないか?」と推定しているという事です。
バランス型人材のリソース配分
バランス型人材は色々な事に興味を持ち、色々な事に取組みます。
その中でもある特定の対象を適度に好きになり、やや力を注ぎ込みます。
Sharari-manの例で言えば、工学が大好きだが、マラソンや自転車も少し好き。美味しいお酒や食事も好き。
このように色々な事にリソースをバランス良く分散させます。
それによって様々な能力をモレなく身に付け、高い社会適合性を得る事が出来ます。
日常生活も問題無く送る事が出来るし、それなりに高い技術力もある。このようなイメージです。
しかし、バランス型も注力する対象を誤ると問題が発生します。
例えば博打に興味を持ち、それにのみ注力した場合、技術的な能力向上は見込めませんし、社会適合性も低くなるでしょう。
分散型人材のリソース配分
分散型の人材は一定数おります。私も沢山の分散型人材を観てきました。
非常に飽きっぽく長続きせず、色々なものに手を出してはすぐにやめてしまい、能力向上の機会を逸失します。
しかし、外的な刺激により多少はリソース配分は変化し、バランス型に近づく事が可能であると考えております。
京セラの稲盛さんの分類で言えば「燃えない人材」と呼ばれるタイプですね。
中々変える事は難しいのですが、Sharari-manの経験上、根気よく刺激を与える事で、ある程度は改善し、特定の対象に注力してくれるようになります。
補足:ソフトウェアとハードウェアの関係
『好き』の対象が論理的思考力を向上させるのに有効なモノに対して強く発現していれば、それに応じてハードウェア性能は向上します。
これが生物の面白いところだと考えています。
小学校で良く縄跳びをやりますよね。
縄跳びが好きな子、嫌いな子 両方いると思います。
縄跳びが好きで、縄跳びが楽しいと思うお子様は 脚力、リズム感などが向上します。
ソフトウェアによる指令によってハードウェア性能が向上したという事です。
このようにベクトルの「強さ」「方向」がハードウェア性能を向上させるのに適した対象であった場合、大変効率良くハードウェア性能が向上します。
計算が好きで『そろばん』に打ち込んでいるお子様は異常に計算が早くなり、一般的な人が到達出来ない領域の計算能力を得ます。
これも「ソフトウェア」が「そろばんが楽しいからもっとやりなさい」という指令を出し、高いモチベーションを維持した状態で取組んだ事によって「ハードウェア」性能が向上したと考える事が出来ます。
さて、では特段好きでもない対象に強制的に取り組ませた場合はどうでしょうか?
①楽しくもない、好きでもない算数を長時間学習したお子様
②楽しい、大好きな算数を長時間学習したお子様
この2例では明確にハードウェアの成長率が異なると考えています。
①のお子様はきっと
「早く終わらせたいな」
「疲れたな」「つまんないな」
なんて考えながら取組むはずです。
このような状態でも学習時間が長ければ一定の効果は得られると思いますが、高いハードウェア成長率は得られないと考えています。
一方、②のお子様はどうでしょう?
「面白い」「こんな方法があるんだ」
「あの問題にも使えそうだな」
「なぜこうなるんだろう」
「どうすればもっと早く、美しく解けるかな?」
このようにもっと深い知見を得ようと貪欲に「考え続ける」はずです。
これにより高いハードウェア成長率が得られると考えております。
筋力トレーニングの例も分かり易いでしょうか。
筋力トレーニングを嫌々続けている人は・・・・・
とりあえず何も考えずスクワットを30回実行して満足します。
筋力トレーニングを目的意識を持って楽しく続けている人は・・・・
今、どの筋肉に負担をかけるためのトレーニングなのかを意識し、その筋肉を伸び縮みさせる事を意識してスクワットを30回実行します。
同じように「30回のスクワット」に取組んだ二人ですが、明確にハードウェアの成長率は異なります。
『ハードウェアの成長率を決めるものはソフトウェアである』
よって
『ソフトウェアを制御し整える事が重要である』
Sharari-manはこのような論法に基づき学習指導を実行しております。
同じ時間学習に取組んだとしても成果が異なるのはソフトウェアの違いによるものだという考えです。
対象が好きでモチベーションが高い人は成長率が高く
逆に好きでなくモチベーションが低い人は成長率が低い
自ら調べ、自ら考え、自ら行動する。
ソフトウェアがこのような状態になっていれば、ハードウェアは自ずと高い成長率を発揮するものだと考えています。
特化型人材の具体例
さて、具体的な事例として私の師匠を紹介させて頂きます。
Sharari-manの師匠(エンジニア)
私がエンジニアを始めた頃から指導して頂き、それ以来ずっと指導を受けている世界最高峰のエンジニアです。
客観的な実績を見ても世界最高峰です。特許取得件数、累計販売額など圧倒的な成果を残されています。
特に工作機械、生産設備、圧力容器、半導体製造装置分野に特化しており、異常なまでの情熱・熱意・執念を持って機械の学習を続けています。
盆休み1日と正月休み1日を除く363日間 毎日16時間機械の開発に取り組み、新しい機械技術の学習に4時間使い、4時間寝ます。
食事は仕事をしながら食べ、入浴中、トイレ中も脳内で開発をしています。
個人事業主ですが、日本有数の大手企業、有名大学と共同研究を実施しています。
育成にも熱心であり、私のような若輩者を受け入れて指導して下さりました。
このような活動を数十年間ずっと続けておられます。本当にずっとやっているのです。
大げさではなく、本当に本当に本当にずっとですよ。四六時中という言葉がぴったりです。
このような人間にはなれない、勝てない、永遠に師匠のレベルには達する事が出来ないと感じました。
このようなレベルで「強さ」と「方向」が偏向している人間が特化型だと考えております。
以下の方々は直接お会いして話をお伺いした訳ではありません。
しかし、状況証拠から、どう考えても特化型の人材であると考えられます。
過去の偉人達
昔の方々はそもそも選べる「方向」が少なかったため、異常な能力を持つ特化型の人材が多くなりやすい素地があったと考えています。とはいえ多くは特化寄りのバランス型であったと思います。
☆モーツァルトさん(音楽家)
モーツァルトは35歳で亡くなっております。
しかし、その残した成果はオペラ・協奏曲・交響曲と多岐に渡り、そのどれもが異常に高レベルです。
特化型の人材で無ければ、35歳でこのようなレベルに到達する事は困難です。
モーツァルトさんに限らず音楽家というジャンルも特化型の方が多い印象です。
ショパン、リスト、パガニーニなど異常な能力の方が多いですよね。現代の方にも凄まじい能力の方が多い印象です。
若い方だと辻井伸行さんなども素晴らしい能力の持ち主です。
☆ガウスさん(数学者)
15歳で素数定理を予想し、18歳で最小二乗法を発見しています。
解析学、幾何学、代数学のあらゆる分野でガウスの功績が残されています。
まともな教科書もなく、学問が体系的に整理されていない1777年に生まれたのにも関わらず、異常な速度で数学を進歩させています。
特化型の人材で無ければ、このような功績を残す事は困難です。
現代の偉人
藤井聡太さん(プロ棋士)
史上最年少の14歳2ヶ月でプロ棋士になり、そこから僅か数年で一般棋戦グランドスラム+8冠制覇という誰も成し遂げた事が無い偉業を達成しています。
21歳での8冠達成ですから、プロ棋士になってから約7年です。
7年間で全ての棋士の能力を凌駕し、圧倒的な勝率を残しています。
特化型の人材で無ければ、このような功績を残す事は困難です。
特化型人材の特徴
さて、このような「特化型」の人材は殆どいません。Sharari-manは1%以下だと考えています。
Sharari-manは読者の皆様に比べて高齢だと思いますが、実際に出会った事がある特化型人材は師匠ただ一人です。
殆どの方が「バランス型」であり、小数の「分散型」がいらっしゃる印象を受けています。
さて、別の視点から見てみましょう。
このような「特化型」の人材と実際に生活を共にすると、どう感じると思いますか?
凄い、素晴らしい、尊敬する という気持ちも当然湧きますが、それらと同時に「方向を誤ると危険である」という気持ちも抱きます。
偉人達はその選んだ方向が「世に役立つもの」であったから偉人になりえただけです。
「対象が世に役立つもの」で無ければ、変人・奇人であったはずです。
また、日常生活にやや支障をきたす場合が多いように思います。
師匠の場合は素晴らしい伴侶に恵まれたゆえ、不自由なく社会生活を送ることが出来たと御自身でもおっしゃられておりました。
このように特化型の人材になる事が必ずしも幸福であるとは考えておりません。
恐らく、歴史上の偉人達も苦悩が多かったでしょうし、『方向』が悪く、奇人扱いされた方もいるでしょう。
しかしながら、特化型人材の持つベクトルの『方向』が世に役立つものであった場合、とてつもない能力を発揮されます。
以下は上で述べた師匠、Sharari-man、一般的なエンジニアの能力を比較した目安です。
かなりSharari-manを過大評価してもこの程度の差があります。
方向が素晴らしい方向に向いていれば、特化型は『天才』と呼ぶに相応しい能力を発揮すると考えています。
バランス型を制御する
さて、特化型の人材は私が師匠と共に過ごした経験を踏まえると、制御不可能です。
外的な要因、例えばゲーム・映画・音楽などのエンターテイメント、美味しい食事・お酒、これらが目の前にぶら下がっていても興味を示しません。
しかし、バランス型の人材はそこまで特化していないため、外的な要因である程度制御可能です。
制御出来ると考える根拠は企業での長年の指導経験および算数道場での指導経験です。
例えば、褒める・共に楽しむなどの行為によって「強さ」と「方向」をある程度制御する事が出来ます。
家庭学習で言えば、算数を「楽しい」と感じ、「もっと学びたい」と思ってもらえるように制御する行為です。
私が算数道場で実践している内容というのは、このような気持ちを子供達にもってもらうための活動です。
今まで他の方向に向かっていた気持ちの「強さ」と「方向」を算数に向かうよう制御する。
それによって、算数に取組むモチベーションを向上させる。
これによって、日常のふとした瞬間に学習について考えるようになり、学習効率が格段に向上します。
このような気持ちの制御に主眼を置いてSharari-manは指導しております。
私がいつも「モチベーションが重要である」と記載しているのはそのためです。
モチベーションが高い状態であれば、あらゆる時に自発的に考えます。
どうすれば上手く行くのか?より良い方法は無いか?
自発的にこれらを考えるようになる事が最も重要であり、これが出来れば勝手に問題は解けるようになります。
大した指導をしなくてもです。私のような素人が指導してもです。
バランス型は「強さ」と「方向」が極端に偏向していないため、容易に外的な刺激で「強さ」と「方向」を制御出来ます。
一般的な子供達を観察していると、昨日までに夢中になっていた遊びが次の日には全く興味がなくなり、他の遊びに打ち込んでいる。
このような事が良くありませんか?
このように外的な要因で容易に「強さ」と「方向」を制御可能な事が「バランス型」の特徴であり、それが社会で上手く生きるために役立っているとも考えています。
自身の持つ「強さ」と「方向」を柔軟に変えていけるというのは実は大変有用な能力です。
特化型の人材はずっと同じことをやっているはずです。少なくとも師匠はそうでした。
サッカーならサッカーの練習を延々と、将棋なら将棋を延々と学習しているはずです。
社会というカテゴリーにおける戦い
プロ棋士、スポーツ選手、エンジニア、音楽家など社会に出てから競う相手の中には特化型人材が一定数いらっしゃいます。
私は師匠と「よーいドン」で同じ仕様の機械を設計して、より良いモノが作れる自信は全くありません。
社会というカテゴリーでの戦いはこのような「異常な能力を持つ、才能溢れる人間」と競わなければなりません。
このような戦いに勝利するために、一般的には大勢のバランス型人材でチームを組み戦います。
「凡人が100人集まっても天才には勝てない」
このような意見もみかけますが、全くそんな事はありません。
「凡人5人がチームワークを駆使して戦えば天才に勝てる」
Sharari-manの経験上はこれらくいのイメージです。
とはいえ、このような特化型人材の方は時に全く新しい技術を開発する場合があります。
このようなアイデアのウェイトが高い、新規案件においては「チームを組んでも天才には勝てない」という事もあるとは思います。
受験というカテゴリーにおける戦い
さて、このように『特化型』『バランス型』『分散型』と人間を3種類に分類してみました。
とはいえ『バランス型』の中にも特化寄り、分散寄りがいらっしゃいます。
しかし、バランス型の特化寄りと特化型の間には 極端に大きな開きがあり、到底肩を並べる事は出来ないと考えています。
さて、『受験』というカテゴリーではどうでしょうか?
『受験』に私の師匠や藤井さんレベルに特化した人材はいらっしゃるでしょうか?
殆どいないように思います。
『受験』というカテゴリーに特化し、それだけを追求し、延々と生涯続けるようなタイプです。
殆どいないでしょう。いたとしても、それでは社会生活を送る事が出来ないため淘汰されるはずです。
このように特化型人材が居ないカテゴリーで行われる戦いなのだから、バランス型の『強さ』と『方向』を上手く制御し、学問に向けてあげるだけで充分に戦えるようになるというのが私の主張です。
「戦えるようになる」という根拠は以下の記事のようです。
「生まれ持った先天的な才能で全てが決まる」という仮説を立てた場合、道場生達の成績結果に矛盾が生じます。
先天的な才能で全てが決まるのであれば、地方でSharari-manのような素人が指導しているお子様の全員が全国統一小学生テストで偏差値70に到達するなどという事は起きないはずです。
これは定性的な評価ではなく、定量的な確率論です。
偏差値70は約上位2.28%ですから、「無作為に抽出した中から、上位2.28%が10回連続で出現する確率」は
0.0228^10 です。
殆ど0%に近い確率です。
ゆえに偶然ではなく、必然であり、道場での『強さ』と『方向』の制御によって、このような事象が発生したのだと考えております。
以上の事から、冒頭で述べた通り、以下のように考えております。
- 『才能』というものはソフトウェアの中に存在するものであり、ハードウェアではない。
- 受験というカテゴリーでは『受験の才能』の無い『バランス型』の人間ばかりが戦っているのだから、『バランス型』の『強さ』と『方向』を上手く制御する事で充分に戦えるようになる。
- 「特化型」の人材に同カテゴリーでバランス型の人材が勝つ事は困難であり、「特化型」の人材は天才と呼ぶに相応しい能力を持っている。ただし、他の能力が著しく欠落している場合がある。
さて、本記事では意図的に無機質に人間というものを捉え、考察しています。
現実は子供達の笑顔が大好きで、彼らをもっと成長させてあげたい、一緒に楽しみたいという思いで活動を続けております。
- 受験で戦えるようになる事 が目的ではなく、社会貢献をしながら面白おかしく生きていく 事が目的です。
- 学問を通じて身に付けた様々な能力はそれを達成するための手段になります。
- そして、学問は必要な能力を得るための手段として優れている。
- だから学問を学ぶ。
Sharari-manの中で学問を学ぶ理由というのは、このような論法になっております。
さて、本記事では学問主体で述べて参りましたが、スポーツではどうでしょう?
ハードウェアの影響が学問よりは強そうです。
しかし、結局のところ支配的なのはソフトウェアです。
例えば私が大谷翔平選手と同じ遺伝子・肉体を持っていたとしても絶対に彼の域には到達しません。
なぜなら私は野球が特段好きではないからです。興味がありませんから、上達するための努力をしようと思いません。
逆にハードウェアの性能が劣っていたとしてもソフトウェアの性能が高ければ高い能力を発揮します。
例えばイチロー選手です。
メジャーリーグの他の選手達と比較すれば、イチロー選手は恵まれた体躯ではありません。
バスケットボールの田臥選手などもそうでしょう。明らかに競技場不利なハードウェアです。
しかしながら、ソフトウェアの性能が圧倒的に高いため、生まれ持ったハードウェアの差を埋める事が出来ています。
このように生まれ持ったハードウェアの性能差があったとしても、ソフトウェア性能を高める事で、効率良くハードウェアを成長させ、最適化する。その結果、充分な成果をあげる事が出来ると考えております。
よって、ソフトウェアの性能を高める事が指導者にとって重要であると考えております。
ここで言う、「ソフトウェアの性能を高める」とは 「対象が好き」「対象が楽しい」という気持ちの「強さ」と「方向」を適切にコントロールし、『対象』が社会で役に立つ、あるいは成長に役立つものに向くようにする事です。
『才能を磨く、整える作業』と言い換えても良いかもしれません。
以下の図のようです。
これによって様々な能力の成長効率が高まると考えております。
「子供達に好きな事をやらせないなんて、悪い人間だ」と思われますでしょうか?
しかし、教育というものの本質は『強さと方向を制御する』ことです。
学校教育では『社会で役に立つ事』『道徳』を教えるでしょう?
これは『方向』を制御していると言えませんか?
子供達は適切に働きかける事で『算数』や『数学』や『理科』や『社会』にちゃんと興味を持ってくれます。
ベクトルの『強さ』と『方向』を制御する事が出来ます。
そして、彼らはそれが楽しいと感じ、自発的に行動してくれます。
指導者というものはこのような事を考えて指導するべきだと考えております。
どうすれば、好きになってもらえるのか?
どうすれば、楽しいと思ってもらえるのか?
「楽しい」と思ってもらえさえすれば、後は簡単です。適切なカリキュラム通りに学習を実行するだけで必ず成長します。
私は子供達が成長するためには、このような分析や制御は必要だと考えておりますし、非人道的だとも思いません。
社会貢献出来る方向へ「好き・楽しい の対象」を制御してあげる事は子供達にとって必ずメリットがあると信じております。
彼らは「自分の好きの対象」が社会で役に立つかどうか、自身の成長に繋がるかどうか なんて分析する事は出来ません。
なぜなら彼らは社会を知らないからです。
よって指導者が『社会で役に立つ事』は何なのかを考え、適切な方向へ導くというのは大変重要であると考えています。
まとめ
- 才能と言うものはソフトウェアの中に存在するものである。
- 天才と呼ばれるような特化型人材は殆どいない。1%以下である。
- 特化型は不変、バランス型・分散型はベクトルの強さと方向を制御出来る。才能を変えられる、磨ける、整えられる。
- 受験というカテゴリーの中に天才は殆どいない、バランス型のみの中での戦いであるから、指導者の努力で制御すれば戦える。
受験というカテゴリーの中であれば、『先天的な能力(才能)』は支配的ではなく、後天的な能力で戦えるという主張です。
何より!!
楽しみながら取り組んだ事が社会貢献や自身の成長に活かせるというのは大変良いものです。
親子で楽しみながら学習に取組む事で、お互いが成長出来ます。
特化型の天才である必要はありません。
特化型、バランス型、分散型には良いところがそれぞれあります。
『個性』というものです。
お子様の『好き!』の強さと方向を上手く制御し整え、親子で楽しみながら成長していけると良いですね。
皆様が楽しく家庭学習に取組み、お子様と共に社会貢献をしながら面白可笑しく生きていける事を願っております。
本ブログが僅かでもその助けになりましたら望外の喜びです。
短時間で書き上げたものですから誤字脱字等があるかもしれません。
誤解を招く表現があるかもしれません。誰かを貶めるような意図は無く、私見を述べているだけの記事で御座います。
Sharari-manはある対象に対して情熱・熱意・執念を持って取組んでいる方を尊敬し、応援しております。
我が家の学習事例が少しでも家庭学習に取組む皆様の御参考になりましたら望外の喜びです。
ではまた!
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